第7回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第7回 「人生の原風景」 (2010.10.1)

自分の生まれたところ、育った街、今ではもうすっかり姿を変えているけど、それを見てみたい、「あの頃」を確かめたい。そんな気持ちは誰にでもあります。
時々、昔のニュースとかの映像で「ああ、この辺がそうか」などと胸苦しいような切ない思いで推測したりします。

私の場合、ラッキーともいえるのですが、それが映画として記録されています。
「キューポラのある街」。浦山桐郎監督。吉永小百合さんの出世作です。
昭和37年の作品ですから、東京オリンピックの2年前。舞台が埼玉県川口市。私が小学二年まで暮らした街です。 ここは鋳物の街として知られる、ちいさな町工場の多い地域でした。
マンションの街と変わり果てた現在からは想像ができません。

この映画、うれしいことに主人公吉永さんの通う中学校が、私の通った幼稚園や小学校の隣。
見覚えある荒川土手やお寺などが沢山映ります。
実は昨夜、テレビを見ていたらこの映画のワンシーンが出てきて、それがこの土手。
一気にココロが「あの頃」に飛んでいってしまったのです。

貧しい時代でした。でも貧しいとは思いませんでした。「豊か」を知らないのですから。
「豊か」は、でも、アメリカにありました。テレビから流れるアメリカのホームドラマにありました。
芝生の庭、家の中にいるおっきな犬、いつでも毛布一枚で寝るぴょんぴょん弾力のあるベッド、牛乳瓶ではなくピッチャーから注がれる牛乳。
「アメリカ人になりたい!」クラスの男の子はみんなそう叫びました。
「ダメだよ、そんなの、日本が一番いいよ」。なぜかみんなを説得した覚えがあります。
アメリカ人になるのは、やっぱりいけないんじゃないか、そんな気がしたのだと思います。

ずいぶんと大人になって、というより、もうとうに人生の折り返しを過ぎて、私の「原風景」ってなんだろうと、ふと思いました。
そしてそれは「町工場」だなあと気づいたのです。
川口の そここにあった町工場。地方から出てきた若者や頑固そうなオジサンたちが汗まみれで働いていた町工場。
そして一日を真っ黒な手で終え銭湯に急ぐ背中たち。

私がシャンソン歌手という肩書きを持ちながら、歌謡曲歌手になりたいと思い続けているのは、どうやらこのあたりに原因があるような、そんな気がしています。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

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