第1回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第1回 2010.7.1

はじめまして。クミコです。
歌い手の私がご縁あって、こちらにエッセイを綴るこ とになりました。

日常のアレコレを、おそらく私と同世代、あるいはちょこっと先輩、ちょこっと後輩、そんな皆さまに向けてお伝えできればと思っています。

思えば私たちは「同じ船」です。
同じ船に乗っているようなものです。同時代に 女性として、アレやコレやの大波小波の中を進んでゆく、これってやっぱり「同じ船」。

同じ船の中でみんなで生き合っていく、そんな感じです。

「タイタニック状態」。私はこう呼んでいます。どういうことだと思われますか?

タイタニックはあのタイタニック号。映画にもなった悲劇の豪華客船です。嵐の中、まっぷたつに折れ、大海に沈んでゆく船。そこで助ける人、助けられる人、手を差し伸べる人、手を離す人、様々な人が生死を分けて入り乱れる様は、映画の中でも圧巻なシーンでした。
あれ以来、私にはこの世のことがすべて、このタイタニック号とダブってしまうのです。行く先の見えない日本、いえ、世界という「同じ船」に乗り合わせた乗客、それが私たち。
そんなふうに思えてしまうのです。

ですから争っている気にはなれません。手を繋ぎあっていかなければ、いつなんどきこの船は沈んでしまうかもしれないのです。隣の人もその隣の人も、みな一緒に一生懸命生きていかねばなりません。手を差し伸べあって、その手をしっかり握って。

そういえば、このニチモウさん。先だっておじゃました時に、船の模型が飾ってあるのを見つけました。で、よくよく拝見すると、他にも船に関係するものばかり。なるほど、ニチモウって「日網」だったんですね。

ああ、やっぱり。急に目の前が開けたような心持ちになりました。青空を漕ぎ出す大きな船のような。

というわけで、これからどうかよろしくお付き合いいただけますよう。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第2回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第2回 だけど おんなじ (2010.7.15)

いろいろな国の映画を観る楽しみは、たった一つのことを確信したいせいかもしれません。
それは「人間、みいんなおんなじ」ってこと。
愛する人を失くせば泣く。空腹は耐えがたいし、親切はうれしい、ナイガシロにされれば怒る。
人間という生き物、しょせんタダの生き物なんだなあと感動してしまいます。そりゃまあ、当然といえば当然なんですけど。
だから余計に、この世の中の「戦い」の虚しさに、どうにも悔しい思いが溢れます。

私は、毎年のカレンダーを、あるボランティア団体から購入しています。
わずかばかりの代金で届けられる12枚のたいていは「子供」の写真です。
世界中の子供の表情にココロが踊ります。
今年のカレンダーをめくり始めて3枚目、「窓ガラスのない教室で勉強する」とキャプションのついた写真が現れました。でも良く見ると、「ない」のは窓ガラスだけではない、机だって椅子だって、ない。
ただ、ガレキと砂があるだけです。
少年たちは、その地面に座り込み、あるいはかがみこみ、「勉強」をしているのです。
アフガニスタンの子供たちでした。

先月、アメリカに行きました。どこへ行っても冷房の効き過ぎで、上着をはなすことができません。
食べ物はといえば、過剰に提供され過剰に捨てられる。正直、日本でチョコチョコと「エコ」なんてしてることがバカバカしくなります。
燃えるゴミ、燃えないゴミ、資源ゴミ、あれやこれや。
こんな無力感の中で、でも、思い出さねばならないのが、きっと「窓ガラスのない教室で勉強する」子供たちなんでしょう。
もしかしたら、今ではその「教室」さえなくなっているかもしれない子供たち、国、世界のことなんでしょう。
そして、繰り返し思わねばならないことが、その「世界」という大きな船の中、日本にも、アメリカにも、アフガニスタンにも、「おんなじ」人間が生きているという、

そのことなんでしょう。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第3回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第3回 海、行きたい (2010.8.1)

たくさんの傷跡を残して梅雨が去り、今は夏の真っただ中。
子供たちが夏休みに入って、いよいよ夏も「全開」といったところです。

今でこそ、日焼け止めクリームを塗りたくり、日傘に帽子に手袋と、「太陽」からいかに逃げるかばかり考えている私ですが、その昔(といってもたかだか20年前)には、休みがあればすぐに海に飛んで行きました。
グアムやサイパンは近いし、でも外国だし、もちろん海はきれいでと、いいことづくめ。
何回通ったことでしょう。
日焼けなど、なんの怖れることなどあるものか。黒く焼けた肌は引き締まって美しい。
足なんか、数段痩せてみえるではないか。お腹だって腕だってしかり。と、まあ無鉄砲な日焼けオンナの誕生です。

ところがある時、何事にも的確で冷静なピアニストの男性がひとこと。
「そろそろトシ考えたら?」
無残に皮のむけた私の肩あたりを眺め、言ったのです。
無残な皮の下からは黒光りする次の皮膚が待機しています。そしてようく見ると点々とシミのようなアザのような模様が。
そうでした、確かに無鉄砲な日焼けの許されるトシは過ぎようとしていました。

そうして私の日焼け人生は終わり、したがって海に行くこともなくなりました。
でも時々テレビなどで、バシャバシャ海辺ではしゃぐ子供の姿を見ては、首にタオルを巻いてパラソルから出られない、付き添いのオバアチャンのような心持ちになり、うっすらと寂しさを感じたり。
「なんでママたちは海に来て海に入らないの?」
その手を引っ張っても頑として拒否した母親を思い出したり。

とはいえ、海は空と同様、いえそれ以上に人間にとって魅力的です。生命誕生の場所だからかもしれません。
海の上、それこそ海に抱かれるようにフワフワと浮かび、あるいは海の中、いろいろな魚とおんなじようにユルユルと流れ漂う、遥か彼方の記憶が突然、蘇ります。
「あ、海行きたい!」
コンクリートで固められた都会の街角、息苦しいビルの谷間に「海」は突然開けます。
乾いた魚みたいに、口がパクパクします。
「あ、海行きたい!」

なのに私は今日もせっせと日焼け止め、塗るのです。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第4回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第4回 広島の鶴たち (2010.8.15)

8月6日、広島に行ってきました。平和記念公園にある「原爆の子の像」に
折り鶴を捧げるためです。

折り鶴を皆さまから集めるというプロジェクトを、実は今年の春から始めていました。
新曲が「INORI〜祈り〜」という、この像のモデル佐々木禎子ちゃんを主人公に
したものだったからですが、果たしてどれくらい集まるものか検討もつきませんでした。
ところが、日を追うごとに鶴は増え続け、中には「神業」といってもいいような芸術的
千羽鶴も送られ、ただもうワアと手放しで感動するほかありません。
どれだけの辛抱、どれだけの想いで鶴が折られ、またその上に送料を負担し送ってくださったのか、
そう思うと、振り返って、私はできることをすべてやってきたのかという問いかけになります。

折り鶴は、繋いであるものもあれば、コンサート会場などで折っていただいたバラバラ状態の
ものも沢山あります。それらを一つ一つ、糸と針とボタン(最初と最後に止めるためのもの)で、
繋ぐ作業は、夏のさなか、なかなか大変なものでした。
大小さまざまな鶴たちは、繋いでも繋いでも一向に減らず、もしかして見えないところで
増えてるんじゃないかと疑うほど。ダジャレを言い合ったり、ヘンテコな歌を唄ったり、気を紛らせ
ながらの作業は続きます。
そして、そろそろ「腰」をやられてきたという嘆きの頃、やっと出口が見えるのです。

「折り鶴集め隊」は「折り鶴繋ぎ隊」、「折り鶴束ね隊」、「折り鶴梱包隊」、そして広島で
「折り鶴運び隊」に変わります。
くっきりとした強い太陽の下、巨大ダンボールから取り出された鶴たちは5万2千羽。広島に
届いていた鶴たちと合わせ、なんと6万5千羽を、両手両肩に担ぎ掲げ、みんなで歩きます。
何だかうれしくて笑っちゃいます。ずいぶん昔見た青春映画の一コマのようでもあって可笑しく
なっちゃいます。

すべてを指定された場所に納め、汗を拭き、空を見ると、おそらく65年前もこうなるはずだった
午後の暑い陽が輝いています。あまりに美しい夏に、失われた人たちの無念が濃い影のように
浮かびます。
「祈り」という言葉を「INORI」という国際語にしたいなあ、ふと思いました。

私どもにお送りいただいた鶴は、こうして無事広島の空に飛び立ちました。これから長崎の
空にも、と思いは膨らみますが、ご協力いただいたすべての皆さまに、この場をお借りして
心からの感謝を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第5回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第5回 「美しい日」 (2010.9.1)

それにしても何と暑い夏だったことでしょう。いえいえ、過去形にはできないこの毎日の暑さ。
皆さまいかがお過ごしでしょうか。

昔はこんなじゃなかった、とはよく聞く話ですが、それでも日本は四季の国。
いやがおうでも、一年は四つに区切られます。してみると、三ヶ月単位で気候が移り変わっていくということ。
これはこれで、せわしなく、思わずため息の出るような目まぐるしさです。よくやってるなあ私たち、という感じです。

先月、ロサンゼルスに行きました。アメリカ西海岸、当然暑さを覚悟していたのですが、陽射しの強さ明るさに比べ、
その涼しいこと。特に私の滞在していたあたりは、ヨットハーバーも近く、朝夕は寒いといったほうがぴったり。
ホテルのショップで一番厚手のパーカーを買い、それでも震えていました。

そこで、再会がありました。もう二十年近くも前に一緒に唄っていた男性です。
英語の得意だった彼は、恋人と共に渡米し、今では現地で歌を教え、すっかり根を下ろしています。
若い頃に比べ二回りも大きく、でもシャイな笑顔はそのままの彼が運転する車で、
光溢れる街を走ります。いろんな話をします。

湿気も無く抜けるような青空。こんな日は日本だったら一年に三日あるかどうかの「美しい日」。
ああ、うらやましいと感嘆する私に彼はいいます。
「毎日こんなですよ。こんな日ばっかり。だからみいんなバカになっちゃうんです。なあんにも考えてなんかいませんよ、ほんとに」バカになっちゃうかどうかはわかりませんが、こんな「美しい日」ばかりだったら、そりゃ確かに面倒なことは考えたくなくなるなあ、と思いました。

寒さとか暑さとか、人間のチカラではどうにもならない自然の中で、人は抗い、耐え、考え、生きていくのかもしれません。そういえば、音楽でもアメリカ西海岸のものはカラッとしていて、わざわざそのカラッとした音を録りに多くのミュージシャンが日本からも行きました。
シャンソンなんて音楽が似合うとは思えませんし、哲学書も好まれそうにありません。
ま、それはそれでいいのです。

だって、人間の営みは、どこでも同じなんですから。
「これでいい」という頂上がないのが人間の営みなんですから。
この世に生まれて死ぬ、その間に様々なものとの出会いと別れを繰りかえす。
喜び、悲しみ、驚き、怒り、妬み、嘆き、ひたすら生きていく。
こんな長い人生の中で「美しい日」が一体何日あるのか。
まあ、ちょっとあったなって いえたら、もうメッケモンです。

一緒に渡米した恋人との別れを口にする時の、翳った彼の横顔を見て、そんなことを思いました。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第6回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第6回 「夏の終わり」 (2010.9.15)

終わりそうもなかった暑く長い夏も、そろそろ終点にきているようです。
とはいえ、私などまだ冷房なしでは寝られません。先だって落語の昇太師匠から教わった「冷却剤を枕に」も追加して、何とかしのいで いる状態です。

夏の終わりは、でも、カラダの変調の季節でもあります。
6年ほど前には、 ベッドから立ち上がろうとした時、それは突然起こりました。 「ヒザ」の痛みです。
痛いというより、まず歩けない。右足が棒のように固まっています。
これには焦りました。初めての経験です。
それまでどちらのヒザにも時々多少の違和感を持ちながら、そのたび、ちょっとしたストレッチで難なく 過ごしてきたのです。

何でこんなことに。愕然としながらも思い当たることがありました。
その頃、 私は寝る時も、起きている時とほとんど同じ、Tシャツと短パン姿。当然 「膝小僧」はむき出し。
蹴ってどこかへいってしまった「夏掛け」など、なんの役にもたっていません。そこに冷房の風が。
一ヶ月以上も冷たい風にさらされたヒザはとうとう悲鳴をあげたのです。
その後そのヒザはボコボコに膨れ上がり、小高い丘のように。細身のジーパン など、なかなか通りません。

結局、きちんとした整形外科医の指導で、今では元通り、つつがなく暮らして いますが、あの頃、私は一生走ることなんてできないのだと、信号を小走りに渡る人たちに追い越されながら、泣きそうになったことは今でも忘れられません。

すべてが万事。用心に越したことはありませんが、年とともに突然現れるカラダの不調は、予想をしていないだけに、人をひどく心細くさせます。
でも、そんな時も肝心なのはきっとココロ。
私は今、一年近く続く「肩」の不調に悩みながら、でも、週に一回「元気に」 リハビリに通っています。
どうせ行くなら元気に行かないと。

とはいえ、買い替えや取替えがきかない、たった一つのカラダ。
家電や車のように、アタリハズレなんていってられません。 この時期、どうか皆さま、くれぐれもご自愛を。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」 連載記事一覧

新連載いつも自然体

連載記事一覧

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

クミココンサート2010 INORI〜祈り〜

2010.09.08(水) 愛知県 名古屋市青少年文化センター アートピアホール
2010.09.10(金) 長野県県民文化会館 ホクト文化ホール・中ホール
2010.10.06(水) 長野県 松本市松本文化会館 中ホール
2010.10.09(土) 福岡県 福岡市 イムズホール
2010.10.11(月・祝) 広島県 廿日市市 はつかいち文化ホールさくらぴあ
2010.10.30(土) 茨城県 つくば市 ノバホール
2010.11.03(水・祝) 北海等 札幌市 道新ホール
2010.11.05(金) 宮城県 仙台市 電力ホール
2010.10.02(土) 埼玉県 入間市産業文化センター
2010.11.17(水) 新潟県 新潟市民芸術文化会館 るりゅーとぴあ劇場
2010.11.21(日) 福島県 郡山市民文化センター
2011.1.16(日) 神奈川県 秦野市文化会館

井上芳雄 10周年記念コンサート ゲスト出演

2010.09.14(火) 東京都 渋谷区 青山劇場
2010.09.28(火) 福岡市 福岡サンパレス ホテル&ホール

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第7回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第7回 「人生の原風景」 (2010.10.1)

自分の生まれたところ、育った街、今ではもうすっかり姿を変えているけど、それを見てみたい、「あの頃」を確かめたい。そんな気持ちは誰にでもあります。
時々、昔のニュースとかの映像で「ああ、この辺がそうか」などと胸苦しいような切ない思いで推測したりします。

私の場合、ラッキーともいえるのですが、それが映画として記録されています。
「キューポラのある街」。浦山桐郎監督。吉永小百合さんの出世作です。
昭和37年の作品ですから、東京オリンピックの2年前。舞台が埼玉県川口市。私が小学二年まで暮らした街です。 ここは鋳物の街として知られる、ちいさな町工場の多い地域でした。
マンションの街と変わり果てた現在からは想像ができません。

この映画、うれしいことに主人公吉永さんの通う中学校が、私の通った幼稚園や小学校の隣。
見覚えある荒川土手やお寺などが沢山映ります。
実は昨夜、テレビを見ていたらこの映画のワンシーンが出てきて、それがこの土手。
一気にココロが「あの頃」に飛んでいってしまったのです。

貧しい時代でした。でも貧しいとは思いませんでした。「豊か」を知らないのですから。
「豊か」は、でも、アメリカにありました。テレビから流れるアメリカのホームドラマにありました。
芝生の庭、家の中にいるおっきな犬、いつでも毛布一枚で寝るぴょんぴょん弾力のあるベッド、牛乳瓶ではなくピッチャーから注がれる牛乳。
「アメリカ人になりたい!」クラスの男の子はみんなそう叫びました。
「ダメだよ、そんなの、日本が一番いいよ」。なぜかみんなを説得した覚えがあります。
アメリカ人になるのは、やっぱりいけないんじゃないか、そんな気がしたのだと思います。

ずいぶんと大人になって、というより、もうとうに人生の折り返しを過ぎて、私の「原風景」ってなんだろうと、ふと思いました。
そしてそれは「町工場」だなあと気づいたのです。
川口の そここにあった町工場。地方から出てきた若者や頑固そうなオジサンたちが汗まみれで働いていた町工場。
そして一日を真っ黒な手で終え銭湯に急ぐ背中たち。

私がシャンソン歌手という肩書きを持ちながら、歌謡曲歌手になりたいと思い続けているのは、どうやらこのあたりに原因があるような、そんな気がしています。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第8回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第8回 「ツケマツゲ」 (2010.10.15)

商売柄「ツケマツゲ」をします。
これ、一昔前、いえ、私の若い頃には「特殊」な人の道具でした。
いわゆる水商売か、芸能人。
一般の人が手に取るものではなかったのです。

エピソードがあります。
浅川マキさんという、いまや伝説に近い歌手。
彼女がジャズのライブハウスにお客として座っていた時のこと。
目ざとく彼女を見つけたミュージシャンが、一曲唄ってよといいました。
そこで、マキさんの答えがなんとも面白い。
「今日はツケマツゲしてないので唄えないわ」

ウィットに富んだ断りかたがステキですが、事実も含んでいます。
ツケマツゲは、舞台のコッチとアッチを分けるもの、そういうことでしょう。
ツケマツゲと無縁だった頃の私には、今ひとつピンと来なかったこの話、今はなるほどと思います。
ステージに立つ前、ツケマツゲをすると、急に覚悟が決まります。
これから 「クミコ」という歌手になるのだと自覚します。

思えばずいぶんと最近のことです。
世の中を見渡せば、ツケマツゲだらけになってからのことです。
見とれてしまうほど見事な分厚いツケマツゲを、電車でも飯屋でも見かけるようになってからです。
舞台に立つ人間がしていないのに、これじゃまったく逆だ。
慌てました。慌ててドラッグストアに走りました。

ですから未だに下手です。圧倒的経験不足です。
時々、半分くらいぶら下がっています。糊の具合が把握できないのです。
そんな時、若いスタッフが急に年上のような面持ちでいいます。
「私がやりましょう」 まったく彼女たちのツケマツゲときたら、完璧です。
でも、時々、みんな同じ顔に見えます。
「ねえ、どうしていつもツケマツゲしてるの?」
「ともだち、みんなしてますから}

そんな若いスタッフが、ある時旅先で寝坊をしました。
時間がないのでスッピンで現れた、その顔の可愛いこと。
はじめて、彼女のホントの顔、ホントの中身が見えた気がしました。
その美しさを讃える私に、照れてちっちゃくなっていた彼女は、それから ツケマツゲをする回数が減りました。

ツケマツゲに限らず、若い時ほど、女性は化粧をしたがります。
私だって20代の頃、女友達の部屋に泊めてもらい、翌朝二人ですることと いえばまず「化粧」でした。
パッパッと日焼け止め塗って終わり、なんていう現在からは想像できません。

ああ、楽になったなあ。そう思います。
年を重ねても、キレイにお化粧をする心持ちは確かに必要でしょう。
でも、それはいつでも頑張るものでなくて、素顔だったり気張って化粧したり、 その中間だったり、自由自在。 だって全部自分の顔ですもの。ひっくり返してもこれだけですもの。

顔は一つの道具。そう思えばいいのです。
それぞれの人生が現れた、唯一無比の道具、うまく使ってやりましょう。
それこそ若い人にはできぬ技です。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第9回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第9回「少女の人形」 (2010.11.1)

夜道を急いでいると、何かが落ちています。どうやら人形のようです。
ばったりとうつぶせの状態です。
拾い上げると、思いのほかずっしり。バービー人形でした。
車に轢かれても、汚れてもいないところをみると、つい今しがた落とされたらしい。
落とし主の少女を想像し、今度は人形の気持ちにもなって願います。
「早くあたしを見つけてね」。
そばのマンションの壁に立たせました。ここで待てばいい。
二、三歩進み、後ろを振り返ると、チョコンと人形が立っています。
もう一回願います。「早くあたしを見つけてね」。

十年ほど前、それまで埼玉県にあった実家を、私の住む街近くに移しました。
何十年も積もりに積もった荷物を次々に、それこそバッタバッタと処分します。
それぞれに気持ちを沿わせていては、引越しはできません。
情け容赦は無用、これが、度重なる引越し人生を歩いてきた私の結論です。

そんな膨大な片付けものの中に、人形を見つけました。
寝かせると目を閉じ、抱き上げると目を開く、いわゆる「ミルク飲み人形」です。
ずいぶんと年季の入った古いもので、もうすっかり忘れていました。
ところどころヒビ割れたその人形をゴミ袋に捨てようとする時、声がしました。
「ああ、かわいそうに」 父親でした。

思えばこの人形、ちっちゃい頃に、父親が買ってきたものです。
誕生日だったかのプレゼントでしょう。
高度経済成長時代のこと、今でいう「単身赴任」の父親とはなかなか会うことができませんでした。
寂しいのは、どちらも同じ。
やっと帰れる家路を、一人娘のためのプレゼントを胸に抱え急ぐ、若き日の父親の姿が浮かびます。

「ああ、かわいそうに、捨てちゃうんだなあ」 だから、父親のつぶやきは、とにかく前に前にと進めねばならないと苛立つ私の胸にポトリと落ちました。
時を急くものと、時を止めるもの。
人間の一生など、大きな時間の中では、意味のないほど短い。
でもそれぞれが、それぞれのはかなく愛しい人生を歩き続かねばならない。
涙が出そうになりました。

翌日、壁に立てかけたバービー人形はありませんでした。
きっと少女の暖かい腕に戻ったのでしょう。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第10回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第10回「劇場へのあこがれ」(2010.11.15)

昔、歌い手になりたての頃、あなたの目指すものは何ですかと聞かれ、こう答えていました。
「ステージシンガーです」 ステージシンガー。わかったようなわからんような。
まあ、意味合いとしては「劇場」で唄う歌手、というほどの。
当時私の頭の中には「越路吹雪」という大歌手がありました。
彼女の日生劇場でのリサイタルは「切符の取れない 」ものとして有名で、華麗な舞台とオートクチュールのドレスは、それこそ夢の世界。
そうだ、これこそ歌手の極み、と若い私は思ったのです。

そして時は流れました。
昨日、私が唄ったのは大型スーパーストアの屋外ステージ。
まさか外だとは思わず、用意していた肩出しピンク色ドレスで登場の私に、お客さまが「寒そうでかわいそう」。
なかなか思うようにはいかないもので す。

去年から、このような街頭キャンペーンを始めました。
昨日のようなスーパーストアや駅ビルのイベント広場、そして昭和から残る「レコード屋」さん。
「なんで、ここにクミコが」と半分困惑されたレコード屋さんにも、今年は暖かく迎えられ、演歌歌手の並びに置かれたポスターにも、なんだか嬉しくなって。

もちろん「劇場」、つまりホールでのコンサートもしています。
完成された照明、音響、伴奏者たちの中で唄う歓びはたくさんあります。
これが「ステージシンガー」なのだ、夢は叶ったと思ってもいいのですが、この頃は、それさえどうでもいいように思えてきました。

カラオケ一つで、街角で、それこそミカン箱みたいなお立ち台で唄うのも、これはこれで「ステージシンガー」かもしれないと。
「劇場」は場所ではなく、人の心の中にある、そんな気がするのです。
どんな場所でも、人に届く歌を唄えるかどうか、人の心の中に「劇場」を作れるかどうか、それが歌い手の真価でしょう。

とはいえ実は私、「リサイタル」という名のコンサートを一度もしていないのです。
それは、いつか「越路吹雪」の立った日生劇場で唄いたい、その時のためにと。
「劇場」への思いは消えそうもありません。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第11回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第11回 「はじめての紅白」(2010.12.1)

皆さまの応援のおかげで、「紅白歌合戦」に出場することになりました。
ありがたいことです。
私の子供の頃は、ほとんど全国民が見ているといってもいいほどの番組。
「国民行事」ともいえました。
私にとって初めてのアイドル坂本九ちゃんや、その奔放さに目を奪われた越路吹雪さん。
ブラウン管の白黒画面に食い入るように見入ったことが懐かしく思い出されます。
右肩上がり経済の日本でした。
去年より今年、今年より来年。
すべてはより良く変わっていく、そんなことを誰も疑いませんでした。

街にはおじいちゃんから小学生まで「知っている」歌が流れ、誰も彼もそのフレーズを口ずさみ、それが「流行歌」というものでした。
今でも思いだします。

母の実家は酒屋だったのですが、家業を継いだ叔父の配達に、いつもくっついていった私は、叔父が店や家庭に酒を届けて回るその間、一人車に残っていました。
「あいしたひとーは あーなたーだけー わかーって いーるのにー」
甘い声がカーラジオから流れます。
どちらかといえば「禁断」の匂いがします。
小学生の私はうっとりしました。
いい歌だなあ。いい声だなあ。オトナっていいなあ。オトナになるっていいなあ。

オトナになった私は、色々な偶然という名の必然に導かれ、歌い手になりました。
シャンソン歌手といわれるより、流行歌手とよばれたい。
そんな思いがずっとあるのも、あの頃の歌たちのおかげです。
活気のある時代と、その街に流れる歌たち。
これからもそんな歌への憧れを胸に、唄っていこうと思います。
誰もが口ずさみたくなる歌を探していこうと思います。
これからも見守っていただければ幸せです。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第12回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第12回 「私のミッション」(2010.12.15)

今年関わった仕事で、今も続いているのが ナレーション。
NHKbs1で放送されている「地球ドキュメント ミッション」という番組です。

日本や世界で、「誰か」のために頑張る人々を取材したものですが、時としてウウッと胸が詰まり、声にならないことも。
それくらい、「誰か」のために苦労する人々の姿は崇高です。

前回はフィリ ピンの、四肢の不自由な少年に「義足」を届ける、日本の社長さんのお話でした。
何十万もする義足は、成長の激しい子供には負担です。
特に貧しい人にとっては、 どうにもなりません。

乳がんで失われた乳房のように、新しいカラダを特殊な技術で製造する会社を経営する、この社長さんは、何とかもっと安く義足が作れないものかと思案します。
そこでできたのが竹の義足です。
フィリピンにはいやというほどある竹を使って、わずか三千円で作ります。

最後に、竹の義足をつけた少年が海辺に立ちます。
彼にとって、自分の足で海に来ることは「夢」だったのです。
「ありがとうございます」と綴られる、日本の社長さんへの、少年の手紙。
こんなに美しい手紙は見たことがありません。

番組では、最後の決まり文句があります。
「あなたのミッションはなんですか?」

ここを声にするたび、私のミッションは何だろうと考えます。
思えば「INORI〜祈り〜」と巡り会い、唄っていることも、ミッションなのかもしれません。
神さまが与えてくれたミッション。

そうそう、紅白歌合戦の抱負を尋ねられ、答えました。
「この歌をきちんと皆さまにお届けすること。それが私のミッションです」

年明けの連載は、1月15日(土)からはじまります。
来年もどうぞよろしくお願いします。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第13回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第13回 「ちょっと遅れた新年のご挨拶」(2011.1.15)

あけましておめでとうございます。
と、いうご挨拶も、一月もすでに半分過ぎてしまっていまして。
どうかお許しください。

ということで。

昨年は、幸せなことに「紅白歌合戦」に初出場できました。
歌い手という職業では、やはり名誉なことです。
子供の頃、わくわくしながら見ていた、その舞台に自分が立てるのですから。

とはいえ、実際、その場に立つまではボンヤリしていました。
どこか「他人事」のようなところもあって。
もちろん緊張はしています。
でも、「紅白」の大きさを、実感する所まではいたっていませんでした。

ところが、大晦日当日。
まずNHKホールの舞台裏にある「神棚」、ここに全員集まります。
局のスタッフ、そして、司会者のかたがた。
それぞれが、一枝の榊を手に拝礼します。
深々とコウベを垂れる、その姿に、シンとします。

あ、「紅白」って「神事」に近い。
「紅白」って「伝統」 なんだ。
改まった緊張が、背中を走ります。

連綿と繋がる「伝統」の中に、加わる、加われる。
これは光栄で、覚悟のいることです。
たかが歌さ、とうそぶいてみても、たった一曲。
それを、きちんと唄う。

私の場合は、特に「きちんと唄って届ける」ということが
ミッションのようでした。
「INORI〜祈り〜」、この曲を支える、多くの魂たちの
叫びを、皆さんに伝 えなければならない。
私の歌であって、私の歌ではない、そんな感じです。

本番前では、ですから、ものすごく緊張しました。
大丈夫、大丈夫とわが身に言い聞かせていても、
やはり、緊張します。
ところが、手はいっこうに震えません。
これまで、過度の緊張では、必ず手が震えていました 。
不思議だなあ。
でも安心しました。きっと大丈夫。

そんなわけで、無事終了いた しました。
今年もまた、こちらでエッセイを綴ってまいります。
どうかよろしくお付き合いくださいませ。

そして、この毎日の寒さ、くれぐれもご自愛を。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第14回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第14回 「水の一滴だって」(2011.2.1)

「暑い」と「寒い」ばかりいっていって一年が過ぎてしまう、なんていやだ。
というようなコピーがありました。
たしか、観光への誘いのCMでした。

ほんとに、そうです。
この前、暑い暑いといってたのに、今は寒い寒い。
暑いと寒い時が思い出せないし、寒いと暑い時が思い出せない。
因果なもんです。

私は、どっちもわりと強いのです。
実際、私の部屋では、エアコンの出番が少ない。
真夏に使うだけです。
冬など、13度から15度の間で暮らしています。
風呂上りが一番危険ですが、それ以外はなんてことない。
この室温だと湿度も下がらず、したがって加湿器もいりません。
まあ、なんて省エネな人間だろうと、自分で感心します。

だから、といってはなんですが、モッタイナイと思うことが多い。
たとえば、水。
コンサートなどでは、事前にたくさんのペットボトルが用意されることがあります。
楽屋からステージから、リハーサル用のものも含め、何本も
ストローが刺さって並んでいます。
その状態だと、まったく口をつけていなくても、あるいはちょっと一口
でも、それらは捨てられてしまいます。
それが、どうにもモッタイナイ。(当たり前の話です)

そんな時は、いつもアフリカの若いお母さんを思い出すのです。
以前テレビで見た、水のない地域。
「たった一滴でもムダにはしません」
彼女は、それこそコップ一杯の水を、使いまわし、子供を育てます。

ああ、申し訳ない。
そんな気持ちで、終演後、せっせとペットボトルの水を集めます。
私だって、一滴たりともムダにするか、の気構えです。

おんなじ地球のアッチとコッチ。
みいいんな繋がっている。
みいいんな生きている。
アフリカの若いお母さんの、気高い顔が、いつも私を戒めます。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第15回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第15回 「早春みたいなコンサート」(2011.2.15)

また雪が降りました。
春はこうして行ったり来たりしているのですね。

さて、先日「届かなかったラヴレター」コンサートをしました。
今年で3回目。
今回は、井上芳雄さんと徳光和夫さんと3人で。
どなたもメチャクチャ忙しい。
リハーサル時間がなかなかとれない。
結局、きちんと通しリハーサルができたのが当日。
つまり、普通の当日リハが、そのまま最初の通しリハになってしまったということです。

これは、なかなかにスリリングです。
BGMと書かれた音楽さえ、どんなものになってるのかわからない。
案の定、私の朗読のところで、アクシデント。
淡々と読むつもりの場所で、ジャズ風アレンジが出てきたのです。
即興ぽい楽器の音に、私は耳ダンボ。
声のトーンが、ついそっちにいってしまう。
これ、無理だよ。
せっかく書いてもらったアレンジですが、ピアノ一本にしてもらいました。

まあ、こんなふうに、私だけでなく、井上さん も徳光さんも、それぞれがドキドキと本番に臨んだのですが、終わってみれば大成功。

舞台に上がる人間は「誉めコトバ」に弱い。
打ち上げでも、当然ココロも口も軽くなって。
えええええ、またやりましょう、てなことに。
もう二度とこんなシンドイ ことイヤだなんて、思ってたのに。
ゲンキンなものです。

このノウテンキ具合が、もしかしたらとても大切なのかもしれません。
とは我田引水に過ぎますか。
ともあれ、私たち出演者だけでなく、それぞれのスタッフの方々が
「プロ」であったことが、幸いでした。
「プロ」はきちんと「プロ」の仕事をする。

歌舞伎を思い出しました。
歌舞伎の世界では、新しい演目の稽古などは、とりたてて必要ないそうです。
その道の「プロ」たちは、きちんとその仕事をするだけ。

と、うまくいったからこんなこと書いてるわけですが、時として沢山時間をかけても、なんら良いものにならない虚しさを知る者としてはちょっと、自慢してみたくなったんです、今回。

さあ、陽射しも明るくなってきました。
次は花粉だ、なんて思わず、とりあえずは春の歓びを。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第16回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第16回 「春なのでご自愛ください」(2011.3.1)

春一番が吹きました。
春って、もちろん希望の季節には違いなんですが、私など、どうも苦手で。

なんたってホコリっぽい。
こんなに風が吹かなくても良いんじゃないかと思う。
それに、その風に乗ってくるものが困ります。
花粉です。

私はまったくの「花粉症」ではありませんが、花粉が飛び始めた時というのはわかります。
鼻がむずむずします。目がうっとおしくなります。
お、今年も来たな、い よいよ春だな。
そんな感じです。

まあ、それ以上ひどくなることはないのですが、どんどん
春になって、どんどん花粉が飛ぶようになると警戒すること。
それは、声です。
たとえば、多くの人が集まるコンサート会場など。
目には見えない花粉だらけ。
その中で、大きな口を開けて唄う。
ふと、咳き込みそうになることが。
あるいは、どうもノドが詰まったような、声がかれるような。

これは本当に困ります。
誰だよ、杉、こんなに植えちゃったの。
悪態つきたくなる。

それにしても、いつからでしょう。
春が、こんなに辛い季節になったの。
これじゃ春がかわいそうです。
英語の教科書で習ったこと思い出します。

Spring has come.
春 来たりぬ

英語の文法、現在完了だかなんだかの授業で、有名な詩の一節から引用したものですが。
でも、それと関係なく先生、いったもんです。
春のこと。
「ほら、春の歓び、溢れてるでしょう。
冷たい冬を耐え、今やっと迎える春。
春が来た!春が来た!
この生命力への歓び!」

こういうのが、ほんとの春だったはずで。
春にとっては、なんとも気の毒なことではあります。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

「連載見送りのご連絡」(2011.3.15)

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、
激しい揺れに遭われ甚大な被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。

連載をお願いしておりますクミコさんもコンサートで石巻におられたところ地震にあいました。

クミコさんは無事ですが、第17回の原稿のご準備は難しいという事で今回の連載は見送らせていただきます。
次回4月1日、第18回連載より通常通り掲載させていただきます。

何卒ご了承いただけますようお願い申し上げます。

東北地方太平洋沖地震で被災された皆様のご無事と一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第17回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第17回 「いつかきっと」(20114.1)

前回、お休みさせていただきました。申し訳ありません。

3月1 1日に起こった大震災。ちょうどその時、私は石巻にいました。
仙台にはちょくちょく伺っていましたが、石巻は初めて。
前日、地図を見ると、仙台からぐるっと海沿いを回っています。

仙台駅から車で一時間弱。着いたのが石巻市民会館。
昭和42年に建てられ、私の公演を最後に取り壊されるとのこと。
なんだか、光栄だなあと思いました。
昭和42年あたりは、昭和の中でも、右肩上がりの自信と力に満ちていた時代。
歌にとっても、老若男女が同じ歌を口ずさめるという幸せな時代。
そんな時に産声を上げた場所の、最後の出演者になれる。
わくわくします。

ところが、ここで私は一曲も唄うことはできませんでした 。
そろそろリハーサル、舞台上ではサウンドチェックが行われている、そんな2時46分。
突然、頭の上を左から右へ電車が通りました。あれ、電車が。
「地震だ!」

皆さまから、多くのご心配や慰めのお言葉をいただきました。
でも、未だに被災者の方々には、暖かい春がやってきません。
そのことを思うだけで、いたたまれない思いがします。

私にできることはなんだろう。ずっと思いながら、できることは
何でもする、そう決めたのですが、時として、引き戻されるように
暗い気持ちになります。
でも、明けない夜明けはない。
焦らず、目の前のことを一つ一つきちんとやっていくしかないのです。
きちんと生きていくしかないのです。

あらためて、被災された多くの皆さまに、お見舞い申し上げます。
そして、願わくば、届けられなかった歌をいつの日か、心を込めて
お届けできますように。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第18回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第18回 「暗くたって明るい」(20114.15)

大震災から一月余りが経ちました。
世の中は、文字通り、すっかり暗くなってしまいました。

実は昨日、京都に行ったのですが、駅に着いた途端明るい。
あ、この明るさ久しぶりという感じ。
駅構内のどの店のショーウィンドウも、全部照明がついている。
これって、震災前にはどこでも当たり前だったのに、と感無量になります。

ところがその京都。
駅を出てタクシーでホテルに向かうと、すぐにあたりは暗い。
桜も川面もぼんやりと、それこそ「幽玄」の佇まいです。
ああ、ここって昔からこ ういう街だったんだな、と気づきます。

福島の原発は東京のためにある、この言葉にどれほど後ろめたい思いをしたことでしょう。
思えば、東京に暗い場所などありませんでした。
どこへ行っても、自動販売機が、ごおおんと音をたてながら光を放っているし、コンビニも、24時間ひたすら店を開け、深夜の無人の店内にも蛍光灯が煌々としていました。

私は東京に住んでいますが、この有り様を、確かに変だとは思っていました。
どうも、おかしい。
いつか、バチがあたる。

今のこの状態を、その「バチ」といっていいのかどうか。
けれど、「これまで」が永久のものではなかった、何か間違っていた、そんな悔いのような気持ちを、誰にも持たせたことは確かです。

「このままだって十分だよね。」
こんな言葉も、この頃ではしょっちゅう聞きます。
半分くらいの暗さ、いえ、明るさでも十分。
なんの問題もない。
なんだか、気持ちが少し明るくなります。

暗さを経験した私たちは、明るさの意味がやっとわかったのかもしれません。
本当の明るさってなんなのか。
本当に必要なことってなんなのか。

東京 駅に着くと、真っ黒な電光掲示板が出迎えました。
いいもん、平気だもん、薄暗い通路を歩きながら、思いました。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第19回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第19回 「少し上を向 きましょうか」(20114.28)

この前まで、あんなに寒かったのに。
汗ばんで歩きながら、なんだかやるせない気持ちになります。

あの日から、どうも時間が止まってしまったような。
少しづつ、少しづつ、復旧はしているというものの、人の心の中は、以前の時計が動かなくなってしまったような。

そういえば「阪神淡路大震災」の時もそうでした。
日本中から、元気がなくなって。
どうも下を向いて歩いてしまう。

「上を向いて歩こう」が、CMとして流れてきた時は、だから驚きました。
この歌、坂本九ちゃんの歌です。
もしかしたら、若い人は、これまでまったく知らなかったかも。
そんな1960年代の、まだまだ貧しい時代の大ヒット曲は、こうして今に蘇り、人を元気づけてくれます。

とりあえず上を向こう。
上を向いて、涙をふこう。
そして、歩き出そう。
一歩づつ、一歩づつ。
足元を確かめながら、ちっちゃい石につまずかないように。
いいえ、つまずいても、また歩き出せるように。

歌になにができるのか。
こんな無力感に、ずっと襲われてきました。
でも、私も歩き出します。
歌い手が歌に励まされて いるんですから、みょうな感じです。

気持ちは、日毎にアップダウンを繰り返します。
でも、今は上を見ましょうか。
少し、目線を上げましょうか。
そうして、息をしやすくしましょうか。

さあ、もう、初夏ですから。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第20回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第20回 「50年ぶりの母校」(2011.5.15)

ロケ番組というものに 出演することがあります。
どこかへ行って、そこでの出会いを番組にするというもの。
4月には「遠くへいきたい」という旅番組で、高知に行きました。
3日間の旅でした。

そして、5月。
今度は「課外授業 ようこそ先輩」という番組。
伺ったの は川口市の小学校。
私が2年までいた学校です。

荒川をはさんで、向こうが赤羽。
今も変わらぬ、大きく広がる川と空。
気持ちのいいロケーションに、学校は建っています。
ちょっと違うのは、昔は映画「キューポラのある街」に映っているように土手の下にあった学校が、上に移動していること。
台風の時など、氾濫してた川ですから、なるほど。

子供たちは、危惧していたことが恥ずかしいように、いかにも子供らしい子供たち。
マスコミで取り上げられる学級崩壊なんて、まったくありません。
みんなの大きな笑顔を見たとたん、心がほどけていきます。

ここで2日間のロケ。
出来上がりは、といいますと、それは見てのお楽しみに。
(今のところ6月中旬です)
私自身、どんなふうに仕上がっているのかわかりません。
でも、確かなのは、お別れが寂しかったことと、今でも思い出すたび、胸がキュンとすること。
そして、この子供たちに良い時代を手渡さなきゃと思うこと。
安全で平和な時代を。

うつむいてはいられません。
しっかりしなきゃ。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第21回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第21回 「もう一歩だけ」(2011.6.1)

あの大震災から、そろそろ3ヶ月。
一時は、暗くなりすぎくらい暗かった街にも、少し明るさが戻りました。
人の心もそれと同じくらい、少し元気になったような。

とはいえ、被災地の様子に劇的な変化はありません。
そこへ行って帰ってきた人の話では、あの膨大な「ゴミ」と化したモノたちをどうやって処理するのか、途方に暮れるといいます。
もう、ボランティアの力などではどうにもならない。
そうはいっても、被災地の広大さに、行政の力も追いつけない。
これからの季節のことを思うと、気持ちはまた沈みます。

そんな相変わらずの私ですが、今月11日、石巻に伺うことになりました。
石巻赤十字病院の先生、震災当日のコンサート主催者の宮城生協、皆さんのお力で開かれるイベントに参加することになったのです。
一時は、一生足を踏み入れられない、なかった事にしてしまいたい、など様々な気持ちに揺れ動いた私ですが、ようやく「一歩」を踏み出せそうです。

そこでは、新曲「最後の恋〜哀しみのソレアード〜」も唄います。
人の繋がりが、いかに素晴らしいものか、それがどれだけ生きる力 になるのか。
恋の歌ですが、命の歌でもあります。
生きることの覚悟を決め、歩き出す歌でもあります。
もう一歩、もう一歩だけ。

心を込めて唄おうと思います。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第22回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第22回 「オレンジ色のチカラ」(2011.6.15)

大震災から3ヶ月。
石巻に行きました。

石巻赤十字病院の松本先生が、今の石巻から復興の歌声を届けたいと企画され、それに「みやぎ生協」の方々が協力して実現されたコンサート。
宮城県に縁のある歌姫4人の出演、生協の店舗の中で開かれました。
私以外の方々は、実際住んでおられるとか、実家があるとかで、辛い思いをされています。
私は、たまたま石巻にコンサートに来ていて被災したというご縁。

店内には一杯のお客さまが来られ、それぞれの歌に泣き、笑い、手を叩きと、その熱さに圧倒されます。
そうか、こんなふうに音楽は必要なのだと気づきます。
一時は、歌なんておにぎり一個の価値もない、と落ち込んでいた私ですが、歌には歌の価値があるのでした。

この石巻行きで、新たにドレスを作りました。
オレンジ色のロングドレス。
石巻のコンサート会場、市民会館の地下楽屋に残されたものと同じドレス。
これは私にとって幸せのドレスでした。
去年、「INORI〜祈り〜」をニューヨークで唄った時、このドレスに助けられました。
原爆を落とした国で、原爆で死んだ少女の歌を唄う、そんなナイーブな状況で、光に輝くオレンジは、私にチカラを与えてくれました。

ですから、震災復興を誓う日に、どうしてもこのドレスを着たかったのです。
あの夜、凍える寒さの中で見た大きな焚き火と、月と星。
全部がオレンジ色。
聞けば、レスキュー隊の色もオレンジとか。
オレンジは命の色なんでしょう。

地下楽屋に残されたドレスにも再会しました。
泥水を排出し、会館の方が取り出してくださったのです。
無地のドレスであったとは信じがたい、赤と白、そしてオレンジのドレスたち。
それぞれに、複雑な模様がついています。
キーボードが板チョコのようになってしまったパソコンなど、酷い状態の荷物の中、ドレスたちがハンガーにかかっています。
でも、オレンジ色は、やはりオレンジ色でした。

このドレスだけ、そのまま保管することにしました。
当日、会館の壁に貼られていたポスター(震災後スタッフの方がはがしてくれたのです)
と共に、これからの私の人生のチカラになってくれるはずです 。
そして、そのチカラで、私もまた被災地のチカラになりたい、そう思うのです。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第23回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第23回 「ピアノも人も再生する」(2011.7.1)

今ではどうかわかりませんが、私の子供の頃「ピアノを習う 」というのは憧れでした。
ピアノは、親にとって「清水の舞台から飛び降りる」ような値段だったことも大きいのでしょう。
ですから、家に来てからのピアノに対しては、みんな神経を遣いました。
ぴかぴかに磨き、ちょっとでも傷ができると大騒ぎ。

で すから石巻で、津波に流されたピアノを再生させるおじいさんがいる、と聞いた時は驚きました。
本当だろうかと半信半疑のまま、伺いました。

窓ガラスが割れ、破壊され尽くした店の奥に案内されます。
そしてそこに、ピアノはあったのです。
それも何十台も。

おじいさんが現れました。
この楽器やさんの社長さんです。
81歳になられるという社長さんは、その時のことを話してくれます。
「店から全部のピアノが流れて、道路の上でピアノの上にピアノが重なり、そのまた上に車が」
「それらをクレーンで店の中に運び込んだんです」

凄まじい状態のピアノたちです。
泥に埋まって少しも動かない鍵盤、塩水でさびついた弦。
難破船から取り出されたもののよう。

三日間、呆然として、そして社長さんは決めたそうです。
このピアノを再生するんだ。
泥になんか負けてたまるか。

おじいさんなどといっては申し訳ない、全身からエネルギーが出ている社長さんです。
「再生されたピアノで唄わせてください」
私は、思わずそう申し出ていました。
社長さんの目が輝きました。

こうして約束ができました。
石巻で再生されたピアノで唄う。

再生、なんていい言葉でしょう。
「その日」が楽しみでなりません。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第24回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第24回 「今年の夏は扇風機」(2011.7.15)

夏は突然やってきました。
梅雨寒だなどと、震えていた記憶がまだ近くにあるのに、夏は、本当に突然、不躾といってもいい様子でやってきました。

今年、私は扇風機を買いました。
そう考える人が、驚くほどいたせいで、どこも品薄。
量販店に行き、気に入ったものを注文しようとすると、何と入荷は一月も先。
これでは何の役にも立ちません。
で、とりあえず第二志望。
これは7月の上旬に届きました。

扇風機なんて、そういえば忘れていました。
おもちゃのようにちっちゃいものは、それまで一台ありましたが、それとて夏の戦力と考えてはいませんでした。
お化粧する時、顔に当てるのがせいぜい。
足元でぶんぶんせわしなく回っている、そんなシロモノです。

扇風機は進化していました。
音も小さく、省エネで、風が柔らか。
ふふふんなるほど、思っていた以上に良い感じではあります。
そういえば、昔は扇風機だけが頼りでした。
これまでツレなくしていたけど、ごめんねと、頭を撫でてあげたい気持ちです。

被災地の方々のことを考えたら、エアコンなんて使えない、今年はこの扇風機だけで
夏をやり過ごそう。
そう思っていたのです。
何日かがんばってもみたのです。
ところが。
眠れません。
ぼおとした数日が続きました。

そんな訳で、今は寝る時だけエアコンをつけています。
スミマセンが、と北の方にお詫びしながらのエアコンは、ゴゴゴと鈍い音をたてています。
もう、寿命だなあこれも。
まったく、どうにもならない暑い夏です。

皆さまも、どうかご自愛ください。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第25回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第25回 「一粒の安心」(2011.8.1)

このところ、あちこちに日を置かず飛び回っていたせいで、
自分が今、どこにいるのかわからなくなりそうになりました。

この移動、「旅」といいます。
仕事でも「旅」。
ちょっとタビに行ってくるから、というのは仕事で地方に行くということです。
語感からくる楽しげな雰囲気とは違い、どちらかというとなかなかにシンドイ。
バタンキューと寝られる子供の頃とは違い、枕や空調のちょっとした違いで寝不足というのもよくあること。

この寝不足、どうにも困 ります。
年のせいか段々に寝つきが悪くなり、寝てもすぐ目が覚める。
ひどい時は、三日間で八時間の睡眠というのもありました。
元来、そんなこと気にもしない私 ですが、こうなると「声」に影響が出始めます。
横になってるんだから休んでる、と思っても「声」は正直です。
意識があるだけで、声帯は緊張しているようなのです。
ですから段々に声の出が悪くなってきます。
がさがさしてきます。

ちょっと前 に「睡眠導入剤」を処方してもらいました。
ちっちゃなちっちゃな粒。
これを一個飲むだけで、怖れることなく眠れる。
いつのまにか寝ている。
これは助かりました。
常用してはいませんが、「旅」にも持ち歩きます。
あるというだけで安心です。
誰かがそれを、カルシウムかなんかにすり替えていたとしても、おそらく眠ってしまいそう。

人というのは、大体がこんなふうに弱く単純なのかもしれません。
まだまだ夏は続きます。
豪雨の地方もあるようです。
皆さま、お大事に。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第26回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第26回 「ちっちゃなボタモチふたつ」(2011.8.18)

皆さま、夏休みの真っ最中でしょうか。
お盆という行事、私の家では別段なにすることもなく、けれど「ボタモチ」だけは作ります。
それを、おじいちゃんとおばあちゃんの位牌に一応は供えた後、
結局は自分たちがむしゃむしゃとたいらげるのです。

私 の家には、昔から仏壇というものがありませんでした。
子供の頃そういうと、友だちはみな驚いて、へええという顔をしました。
毎朝、お線香をあげ、お水を替え、手を合わせる習慣を持つ家に行くと、
あまりの違いに自分の家のからからとした軽さのようなものに、疑問を持ったりもしました。
うちってなんかヘン。

そうこうするうちに祖母が亡くなりました。
戒名の入った位牌が届きました。
それは居間のサイドボードの上にポコンと置かれました。
おばあちゃん、お茶好きだからねといって、毎朝その位牌の前に湯呑みがポツンと置かれます。
でも、母が手を合わせている様子はありません。
時々私がお茶を供える時に、手を合わせるだけです。
なんかヘンだなあ、やっぱり。

今度は祖父が亡くなり、位牌がもう一つ増えました。
二つの位牌は小さなスペースに窮屈そうに収まりました。
ちょっと、おじいちゃんどいてよ。
なにいってんだ、お前こそもっとそっち行けよ。
そんな会話が聞こえてきそうです。
それでも母親は知らん顔。
「アッチはダイジョウブだよ」といわんばかり。
たしかに、アッチは広々と気持ちの良いところなのかもしれません。

そんな肩寄せあうような窮屈な位牌二つに、昨日は手を合わせました。
ちっちゃなボタモチ二つを、一つのお皿に乗せて、目を閉じました。
そちらはいかがですか。
こちらは大変です。
見守っててくださいね。
ただ、見てるだけでいいですから。

こうして、私のお盆は終わりです。
アッチもコッチも地続きのようなもの。
そんな気持ちが一層強くなった今年のお盆です。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第27回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第27回 「やればできた「夏」でした」(2011.9.1)

9月に入ると、もう夏も終わり。
暑さに変わりはないのに、やはり秋という感じがします。

この夏は、日本国中が背中に荷物を背負わされたような夏でした。
「節電」。この言葉がいつも私たちのそばにありました。
扇風機売り場には人がごった返し、クールグッズはそこかしこに置かれ、自動販売機も申し訳なさそうに「ただいま節電中」のシールを貼られ。
そんなこんなが功を奏したのか、停電にもならず、どうにか秋になりました。

とはいえ、なにも解決されたわけではなく、これからのことを 思えば、まだまだ序の口なのかもしれないと不安は広がります。
けれど「やればできる」という、確信のような自信を、みんなが持てたことも事実です。
私自身も、 こんなにエアコンを使わずに寝た夏もはじめて。
扇風機を回し(それも音の小さいものを奮発して買いました)、枕にはクールジェルをはさみ、シーツも麻で。
やってみると、どれもがなかなか良くて、いつもの夏より快適な夜になりました。

そして私たち女性にとっては、電車やバス、デパートやスーパーなど、これまで、何もこんなに冷やさんでもと怒りさえ覚えた室温が、かなり緩和されました。
どんなにか寒かろうと、どこへ行くにも上着を持っていったこれまでに比べれば本当にうれしい。

男性のクールビズが浸透したことも、この夏の特徴でした。
ポロシャツに短パンが、白い目で見られなくなったのもなるほどこの時世。
ワイシャツにネクタイなんていうのは、もはや拷問で、かわいそうになどと哀れみさえおぼえてしまいます。

そんなこんなで、乗り越えた夏です。
今度は台風が接近。
この日本列島は、自然の脅威にさらされ続ける国土だったと、あらためて思います。
でも、どんなことがあっても、耐え忍ぶ。
先人が体験し乗り越えてきた道に、思いを馳せ、つぶやきましょう。
「やればできる」。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第28回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第28回 「再生ピアノのコンサート」(2011.9.15)

大震災から半年がたちました。
その9月11日には、コンサートをしようと決めていました。
それも再生ピアノでのコンサートです。

6月にうかがった石巻で、ツイッターというツールにメッセージが入りました。
「津波で流された泥だらけのピアノの再生に人生を賭ける老社長がいます。
ぜひ会ってください」
まだまだデコボコとした石巻の中心地、そこにその楽器屋さんはありました。

社長さんはその時81才。120才まで生きて30台全部再生します。
泥に負けて人生を終わりたくない。
その言葉に思わず私が口にしたのが「一台再生したら唄いに来ます」
これが「約束」になりました。

その「約束」の日が9月11日なのです。
ですから主役はこの再生ピアノ。
コンサート会場の湊小学校体育館にはたくさんの方がいらっしゃいました。
(ここは避難所でもあります)
たまたま訪れた石巻で被災した私と、この再生ピアノと。
不思議なご縁から始まったコンサートです。

出演いただいた石巻のシャンソン愛好会、そして石巻女子高の皆さんとの合唱は
これからも続く再生への道への力強い一歩を、思わせてくれました。
そうだ、一歩ずつ、小さくても一歩ずつ。

まだまだ長い道のりです。
でも、歩いていけばいつかたどり着ける。
ピアノだって泥から再生して美しい音色を奏でるのですから。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第29回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第29回 「雨にも風にも負けそうだけど」(2011.10.01)

台風の季節とわかってはいたけれど、今回の台風はそれはひどいものでした。
あんな暴風雨は経験したことがないという声も聞かれ、大樹がそこここで倒されるのを見れば、まったくその通りです。
東京でも、銀座や赤坂など繁華街で倒れされたといいます。
そのおかげで、交通が遮断され大変だったとも。

こんな大きい樹がどうやったら倒れるんだろう、その太い幹を見ては自然の脅威にただただ驚かされます。
こんなふうに「思ってもみなかった」ことが、今年は次々に起こっています。
あんまり次々に起こるので、もうちょっとしたことには動じません。
なるようになるさと、うそぶいてみたりもします。
そのくせ、夜半に地震などあれば、ビクッとするのですからナサケナイ。

人は単なる「生き物」なんだなあと、改めて思います。
これまでその知恵で、生き延びてきたニンゲン。
他の生き物に比べても、数段にか弱いニンゲン。
そのニンゲンという生き物を、これまで何だかとっても強いもののように思っていました。
そう錯覚していました。

今年になって起きた自然の事々は、そんな認識をさっぱりと吹き飛ばしてくれました。
それこそ台風の風のように。
もう観念するしかありません。
頭を低くして、決して偉ぶらず、この世に生きさせていただいているのだと、そんな風に思うしかありません。
ただただ雨にも負けず、風にも負けず、ちょっとのご飯を食べて良しとする、そんな低姿勢な生き方を思い出すしかありません。

でも、それだけじゃちょっとシャクなので、この秋にはキレイな色のストールでも
カラダにまとわせましょう。
甘い秋の栗だっていただきましょう。
ニンゲンだけですもの、こんな楽しみ。
ね。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第30回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第30回 「今年もおんなじ冬服で」(2011.10.15)

一年は12ヶ月。
春夏秋冬とそれぞれ大雑把にわけて3ヶ月ずつ。
まったくせわしないことです。

私は「衣替え」をしません。
すべての服は、いつも同じ所にあります。
それだけ持ち服の数が少ないということもあるのでしょうが、今の世の中は、昔ほど季節による服の違いが少なくなったともいえそうです。
化学繊維の多様化で、下着も上着もその区切りがあいまいになり、また軽量化(コンパクト化 とも)によって、場所ふさぎの服も減りました。

私など、冬はフリース専門で、それまでの毛糸モノは、それこそ隅においやられています。
このフリース、軽く暖かく、しかもホコリがたたない。
乾燥によるノドの不調に、とりわけ敏感になる冬には欠かせません。
職業上でも、かなり都合の良いモノです。
これを何色か用意して、とっかえひっかえ。
それに、これまたいくつかのマフラーを組み合わせ出来上がり。
あっという間です。

それに加えありがたいのが、ダウンのコート。
重たいものを身につけただけで、息が切れ肩が凝る、そんな年齢の私には願ってもない軽さです。
本当にうれしい時代に生きています。
ちなみに私の父親の時代のコート。(外套なんて呼ばれていた代物)
まだ若い頃、その何ともいえぬ味わいに惹かれ譲り受けましたが、一日着ているだけでひどい頭痛がしました。

ただ問題は、こうした衣服はそうそうダメになるものでもなく、着心地もいいので捨てる気にもならず、そうすると大体「いつも同じ」ものを着ていることになってしまう。
整理ダンスを開けてみましたが、今年も去年と代わりばえしそうにありません。

困ったなあ。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第31回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第31回 「食欲の果てに」(201111.1)

「食欲の秋」といいます。
とはいえ、目がくらむほどお腹が空いて、考えることといったらもう食べ物のことだけ、なんてもうずいぶん前のことのような気がします。

成長期の頃(中学生あたり)の食欲の凄まじさは、それはスゴイものでした。
給食の食パンが、割り当てだけでは足りず、友人から食べ残しの何枚かをもらってはむしゃぶりついていました。
ところが、家に帰るともうお腹がぺこぺこ。
当時人気のあったお菓子、たとえばサブレのようなものなど、一箱あっという間にペロリ。
もうカラダ全部が口になってしまったような感じです。

この暴力的食欲に任せるまま、食べ続けた結果。
体重測定のたび、右肩上がりで増え続ける体重。
気づくと私は、明らかに肥満児になっていました。
自分の身の上に「肥満」という事態が起きることなど、まったくの予想外。
呆然と、大きくなったカラダのあちこちを見渡しました。

それから肥満との闘いが始まったのです。
この闘いは、辛く長いものでした。
やっと人並みの体形に戻ったのは、30才近く。
今でこそ「痩せてる」なんていわれますが、目も鼻も肉に埋もれていた少女の頃があるのです。

その頃の写真だけは「門外不出」です。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第32回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第32回 「バラはあこがれ」(201111.15)

シャンソンには「枯葉」という名曲があります。
フランス語はもちろん、英語でも唄われ、もはやスタンダードとして有名です。
ずいぶん昔、ジャズピアノを習っていた頃、最初の課題曲だったことも思い出します。
いい音楽はジャンルを越えるのでしょう。

そのほかにも、シャンソンでは「枯葉」をモチーフにした歌が多くあります。
そのあたりの情緒が、モノノアワレを感じやすい日本人に合っているのかも知れません。
あの個人主義的フランス人と、どうして同じなのかしら、不思議といえば不思議です。

先日、シャンソン歌手のワサブローさんとご一緒しました。
彼は30年パリに住み、フランス語で歌を唄ってきた人です。
ご実家は京都で、このあたりが、余計に興味をそそります。
今はパリと日本を行ったり来たり。
どこにいっても自分を「異邦人」だと思うといいます。

私はシャンソン歌手でも、歌謡曲歌手でも、どこでも「スキマ」な感じで
彼のいう「どこでもない」感じは、ちょっとわかる気がします。
だからなのか、ワサブローさんのいう「自由」という言葉に、涙が出るほど共感してしまいます。
なんだか、ちょっとシンドイけど、このまま「自由」を心に持って唄っていきたい、そんな感じです。

共演の最後には二人で唄いました。
「バラはあこがれ」。バラは自由と希望の象徴です。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第33回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第33回 「先生にホメラレタ」(2011.12.1)

いよいよ今年も「師走」です。
師も走る、つまり先生も走っちゃう、そんな忙しい時期がやってきました。

先生といえば、先日大宮で行ったコンサート。
埼玉の「いのちの電話」が主催されたもので、いわば皆さんの善意に包まれたもの。
ボランティアで「いのち」を救おうと24時間体制でがんばる人たちと、それを何とか支えたいと願う人たち。
私も、その一人ですが、できることは唄うことだけ。
このコンサート(これで2回目ですが)をすることで、いくらかでも運営資金になればと参加していますが、そこに「先生」がみえました。

私は埼玉県で過ごした時間が長く、小学校は川口、中学校は浦和、高校は春日部。
こんな ふうに、あちこちと移動しながら育ちました。
その小学校の校長先生と教頭先生、そして高校の校長先生。
皆さん、大きな花束を胸に楽屋を訪ねてくださったのです。

その昔、先生というのは、それも校長先生などというのは、とてつもなく大きな存在でした。
遥か遠い人というか、自分の親より「彼方」なイメージです。
ところが、今その先生がたは、私と同じくらい、あるい は年下。

ハアーとため息が出ます。
こんなに遠くへ来ちゃった。
でも、不思議なことに、校長先生はやっぱり校長先生。
渡された花束を、自分の胸に受け取ると、なんだか良い気持ちがします。
そうか、これ「ホメラレタ」って感覚。
その時、私は 生徒になっています。

なるほど。
いくつになっても、先生は先生でした。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第34回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第34回 「良い年をお迎えください」(2011.12.15)

今年もあと半月となりました。
本当に大変な年でした。

先だっての「今年の漢字一字」では「絆」が選ばれ、やっぱりというか、なるほどというか。
これまでこの字が選ばれてなかったことにも、ちょっとびっくり。
そうか「絆」は、今年この国の人が改めて気づいた言葉なんだなあ、と感無量です。

この字が選ばれて、清水寺のご住職が墨で書く、その時間ち ょうど人形町にいました。
江戸風情あふれる街の、これまた情緒あるお蕎麦屋さんで「鴨南蛮」を食していました。
太いネギが三つ、どどどんと乗っかっています。
ツユは真っ黒、関西の人が見たらびゃあといいそう。
でもこれがなんとも美味しい。甘い。
鴨も脂たっぷりで「かもねぎ」という言葉が思い出されます。
鴨がネギを 背負ってくる、ふむふむなるほどそりゃタマランわと、ほっぺが緩みます。

外に出ると、クリスマスを通り越してお正月の飾りつけ。
みんなが早く早く新年になりますようにと急いている感じさえします。
確かに、新年に早くなりたい。
もうこんなシンドイ年はイヤです。
来年は、どうなるんで しょう。

皆さまにとって、すべての人にとって、この国にとって、良い年が訪れますよう、
今はただ願うのみです。

どうぞ良い年をお迎えください。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第35回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第35回 「穏やかな年でありますよう」(2012.1.16)

ちょっと遅れましたが、新しい年のご挨拶を。
今年が、少しでも穏やかな年で ありますよう。
もう、これに尽きる気がします。

それにしても、今年の冬は寒い、そんな感じをお持ちの方も多いのでは。
12月初めくらいまでは、こんなにあったかい師走なんてと、思っていたのが、ずんずん冷えてきて、年明けを待たず、十分な寒さになりました。

太平洋側ですと乾燥もひどく、肌荒れも起こしやすい。
顔だけの心配ではなく、寝ている間にあっちこっち引っ掻き、起きると見るも無惨な傷だらけということも。
ドレスなど着なければならない時には、とても気を遣います。

このあたり、若い時にはなかった悩みといえそうです。
それでも、お風呂から上がったらシュシュシュとローションを吹き付ける、それだけでも大分良いようで。
(乳液やクリームを塗ってしまうと、なんのためにお風呂に入ったんだかわからなくなってしまいますから)

このお正月、出かけるにもほとんどすっぴん。
蒸しタオルで顔を拭き、ちょっとクリームを塗ってそれで済ませました。
肌も、すっかり休んだようで、心なしかぴちぴちしています。

さあ、いよいよ本格的な始動に入ります。
今年一年、どうか皆さまお元気で過ごしください。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第36回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第36回 「ただ春を待ちます」(2012.2.1)

相変わらず寒い日が続いています。
皆さま、お元気でいらっしゃいますか。

ニュースでもあるように、雪国の苦労というのは並大抵ではありません。
凶器ともいえる雪の重さは、そこで暮らす人でないと実感としてわかりません。
私は東日本で生まれ育っているので、日本海側から遊びにきた友人が、冬の青空を見てため息をつくのを、初めはどうしたことだろうと思いました。
「一日でいいから、取り換えてほしいなあ」
毎日続くどんよりとした雪空は、もうイヤだというのです。

最近、また別の雪国にいる友人からメールが届きました。
そこにも、同じようなつぶやきが。
耐えて耐えて、でも笑顔を絶やさない彼女の顔が浮かびます。

この青空に続く太平洋側では、でも、様々な試練があります。
地震、放射能と、不安が募ります。
どっちもどっちだなあ。
まあ、いずれにしても、笑顔でいるに越したことはありません。
なるようになる、そんな言葉が浮かびます。

二月、ここを越えれば春はもうすぐ。
どうかご自愛ください。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第37回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第37回 「忘れ得ぬ日がまた増えました」(2012.2.15)

相変わらず寒い日が続いています。
皆さま、お変わりありませんか。

先日、また石巻に行ってきました。
もう何回目になるでしょう。
今回は地元の皆さんとCDの録音をするため。
震災後に作った「きっとツナガル」という歌、その合唱バージョンをぜひとも石巻で録りたかったからです。

もうすぐやってくる3月11日。
一年前のその日の夜、避難した裏山で見た景色。
煌々と輝く月と星。
そして、その星になった魂たち。
そんな一生忘れ得ぬ日を歌に残したのですが、どうしてもこれを合唱という形にしたいと思いました。
それには、同じ夜を過ごした 石巻の方々と、と思いました。

寒い公民館で、4才から78才までの皆さんが集まってくださり、その150名を越す皆さんの声は力強く、暖かく響きました。
こうしてまた忘れ得ぬ日が増えました。
このCDは春に発売されます。
誰よりも心待ちしているのは、私のような気がしています。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第38回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第38回 「丁寧に春を迎えます」(2012.3.1)

やっと春の気配がしてきました。
けれど気配は気配で、三寒四温という言葉の通り、暖かさに頼ろうとすると、またスルリとかわされる、そんな毎日です。

さて、私、二月の中旬から東京の「明治座」という劇場に出演しています。
歌謡界の大先輩、五木ひろしさんの公演のゲストとしてですが、この厳しい世界で頂点を極めている方とご一緒するのは、思っていたよりも、学ぶことの多いものになりました。

歌は、その人の人生を現すということでしょう。
貧しい心で唄う歌は、やはり貧しい 。
豊かな心で唄う歌は、それを聴く人を豊かにする。
当たり前といえば当たり前のことですが。
一日一日を、懸命に丁寧に生きよう、そして唄おう。
そんなまっすぐな気持ちにさせてくれた五木さんに、今はただ感謝をしています。

大震災からもうすぐ一年。
歌のできる役割も、少しずつ増えてきました。
「希望」を残せる歌を、唄いたい、唄い続けたい。
春の足音を、だんだん近く感じながら、日向で深呼吸をしています。

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

第39回 いつも自然体"クミコ"からの応援レター「ココロの窓を開けたなら」

新連載いつも自然体

第39回 「皆さま ありがとうございました」(2012.3.15)

やっと春がやってきました。
春は花粉と共にやってきました。

ある日、ヘアメイクの女性が腫れた目と、しゃがれた声で現れました。
ああ、ついに今年も春が来た、そう感じました。

今年の春は、でも、あの大震災から一年ということで、どこか憂いと悼みに溢れたものになったようです。
テレビでは連日、その類の番組が流れ、毎晩気持ちがうろうろとしたまま床に入るという日が続きました。

私自身も被災した場所石巻とのご縁が続き、行ったり来たりをしています。
そして、だんだんに石巻の家族が増え、またさらに想いが募り、他人事ではないという重みがいつも肩に乗っている、
そんな感じです。

さて、この連載、今回で終わりです。
私自身が、こちらの商品の愛用者だったことから始まったご縁。
暖かいスタッフの方々に支えられながら、月二回のエッセイを書かせていただきました。
予想もしない激動のこの年月、歩みを共にした、という思いが残ります。
支え、支えられながら、人は生きていく。
そんな当たり前のことに、気づきました。

そして、この連載をご覧いただいた皆さまに、心からの感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
どうか、お元気でいらしてください。
どちらかでお目にかかれましたらお声を、おかけください。

ごきげんよう。

2010年6月から始まりましたクミコさんの連載「ココロの窓を開けたなら」は
2012年3月15日の連載をもって終了となりました。
長い間、ご覧いただきましてまことにありがとうございました。
そして、イソフラボン倶楽部はこれからも、
クミコさんのご活躍を心よりお祈りしております。
本当にありがとうございました。
2012年3月15日 イソフラボン倶楽部スタッフ一同

クミコさんPROFILE

1954年9月26日 茨城県水戸市生まれ。早稲田大学卒後、’78年、「世界歌謡祭」に日本代表の一人として参加。’82年 シャンソンの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロとしての活動をスタートする。’99年 作詞家・松本隆氏に見いだされる。‘02年 アルバム「愛の讃歌」に収録した「わが麗しき恋物語」が、“聴くものすべてが涙する歌”として大きな反響を呼び、シャンソンでは異例の大ヒットとなり一躍脚光を浴びる。’07年 デビュー25周年を迎え、中島みゆき書き下ろしの新曲「十年」を収録したアルバムをリリース。翌年、アルバム「友よ!」を発表し、話題に。‘09年、三木たかし氏の遺作である「届かなかったラヴレター」をリリース。そして、今年2月9、10日には、井上芳雄さん徳光和夫さん上柳昌彦さんと共に、シリーズ35万部突破の実話集「届かなかったラヴレター」を朗読と名曲で綴るハートフルコンサートを実施。また、「届かなかったラヴレター」を含む新作ミニアルバムをリリース。2月24日にはNEWシングル「INORI 〜祈り〜」をリリースし、USEN総合リクエストチャート1位になるなど快進中。

*その他クミコさんの詳しい情報は 「クミコ オフィシャルサイト」まで http://www.puerta-ds.com/kumiko/index.html

ページトップへ